今回は埼玉開発のある日高市についてお話したいと思います。
その昔高句麗の滅亡によって居場所を失い日本にやってきた高句麗人たちが住む場所として設置されたのが現在の日高市付近にあった高麗郡です。現在でも、高句麗人たちが住んでいた名残がたくさん残っています。
・高麗神社
日高市にあった高麗郡には高句麗人たちが住んでいましたが、その中に高麗若光という人物がいて、高句麗の王族である玄武若光と同一人物と考えられています。
高麗神社は高麗若光を祀っている神社で、宮司は代々若光の子孫が努めていて、その家系は現在も途絶えることなく続いています。
高句麗がルーツではありますが、日本の神社とほとんど同じなので違和感なく参拝することができます。
出世や子孫繁栄などの御利益があり、境内にある芳名板には数々の著名人の名前が並んでいます。
在日本大韓民国民団によって贈られた将軍標は日本にあるものの中では特に有名で、神社の駐車場にある他に高麗川駅(埼玉開発の目の前)にもあります。
・高麗家住宅・高麗郷古民家
高麗神社の境内の隣にある建物で、17世紀頃に作られたとされている国の指定重要文化財です。
高麗若光の子孫である高麗家が代々暮らしてきた建物で、東日本に残っている民家の中ではかなり古く、形もそのまま残っています。
一度解体をして修理を行いそのまま復元したものですが、事前に連絡をすれば中の様子なども見ることができ、昔の建物を見る貴重な体験をすることができます。
・巾着田
周囲を流れる高麗川から水を引き、高句麗人たちが稲作を行っていた巾着のような形をした平地です。
現在では田んぼはほとんどなくなり、季節ごとに様々な花が咲き人々が集まる憩いの場として整備されています。
春には桜や菜の花、夏にはアジサイが咲きますが、中でも有名なのが秋に咲く曼珠沙華(彼岸花)です。
約500万本の彼岸花の群生地は日本一の規模で、一面真っ赤に染まる曼珠沙華まつりの時期には多くの観光客が訪れ、B級グルメの屋台やイベントなどで賑わいます。
高麗川にかかるあいあい橋は全長91.2メートルと木造トラス橋としては日本最長で、歩行者専用なのでゆっくり橋を渡りながら景色を楽しむこともできます。
今回だけではすべてお話することができなかったので、次回に続きをお話したいと思います。